今日のひとこと



このコーナーは、管理人が日々の生活の中で気になったことや考えたことを、好き勝手に書き散らすページです。
特に薬学とは関係ない内容も多く、実になる話は少ないと思います。それでも読んでいただけるという方は…ぜひ。



◆2018.10.15◆


「ネーミングセンス」


『この言葉は差別用語だから、今後はこんな云い方に変えます』
みたいなくだり、なんだかなぁ…って思うことがままあります。

『障害者って漢字は駄目だ!あたかもそのヒトが社会の害みたいじゃないか』
…別に僕はそうは思いませんけど。障害を抱えてる、障害と向き合ってる。だから、障害者なんじゃないの…?

まぁ、それはそれとして…優性遺伝子と劣性遺伝子。
『劣性遺伝子が劣ってないのに、劣性なんて差別だ!これからは顕性・潜性と呼ぼう』
となったときには、いいね!って思いました。
別に僕の血液がO型で憂き目にあってきたからではありません…念のため。そもそもO型ですらない。

「害」が悪いから「がい」と書こう。とかそういうことじゃなくて…せっかく改名するなら、より良いネーミングにするべきだ。
現れやすいから顕性、隠れやすいから潜性…ナイスです!

でも問題は…名称変更を提言してから1年が経っても、イマイチ定着してる気配が感じられないこと。
まぁ…pHがペーハーからピーエイチに変遷するのも、随分時間が掛かりましたもんね。気長に待ちましょう。

秋の夜は長い。


(ICO)



◆2018.9.29◆


「求ム、日本語版"and/or"」


and/or、英文で登場してきたとき、誰もが意味はわかると思います。
たとえ和訳せよと云われても、「A、Bのいずれかまたは両方」のようにさらっと訳せると思います。

しかし…このニュアンスを日本語の文章の中で使いたいとき、いつも悩みます。

「AやB」、「AとかBとか」でも通じるかもしれないけど…やや精確性に欠け、and/or感が薄れます。

一方、「AとBの両方あるいは片方」、「A、Bのいずれかまたは両方」のような書き方をすると…
精確ではあるものの、冗長というか、さっぱりした文章になりません。

and/orの秀逸な日本語表現がどこかにないものか…。

これをお読みのあなた。何か思いついたら、ぜひページ下部のコメント欄から教えてください!


(ICO)



◆2018.9.18◆


「善き不審者」


小説やドラマやお芝居では、不気味なヒトほど信用できるのは何故だろう。
特に物語の序盤に出てくるあからさまに怪しいヒトって、あぁ…彼/彼女は味方だ。って安心感がありますよね。
(はっきりと悪意を持って接してくるヒトではなく、主人公側が気味悪がって避けるようなヒトの話です。)

作中では誰からも信用されないヒトこそ、結果的に正しいことを云っている。
見てるほうも、この詭弁に対して、「あぁ、この忠告を聞かないせいで主人公たちは面倒に巻き込まれるぞ…」とか思いながら
読んだり観たりする。

こういうのって、お約束だから良いのでしょうか…?形式美は安心につながりますからね。
でも、その割に広告のキャッチコピーが「衝撃の結末!」とか「予測不可能な展開!!」とか煽ってくるから、
なんだかなぁ…って思っちゃうんだよね。面白かったけど衝撃ではなかったぞ、とか…。

…とはいえ、それはフィクションのお話。
現実の世界においては、不審人物が実際に危ないこともあるので(もちろん爽やかなヒトが危険な例もあるけれど)、
皆さん警戒を怠らぬよう、ご自愛ください。


(ICO)



◆2018.9.2◆


「内と外」


どうして外側から診るのが内科で、内側を診るのが外科なんですか
(永六輔さん「大往生」より引用)


この発想、云われるまで全然思いつきませんでした…。

もちろん、内科は内臓の具合が悪いとき、外科は外傷を負ったときなどに利用するので、名付け方は間違ってはいません。
けれど、内科医は聴診器を身体の外側に当て、外科医はメスで身体の内側に手をつけるっていうのはその通りで面白いですね…♪

常識を疑え。とはよく云われる言葉ですが…これは心に留めておく程度じゃなく、
かなり意識し続けないと、なかなか実践することができません。
だから、(素で変人じゃない限りは)強く意識することが重要です。

まぁ…こういう天邪鬼な発想が、良いかどうかは別ですけどね。
奇想天外な発想ができるヒトは、魅力的であると同時に、嫌がられることも多いでしょうから…。


(ICO)



◆2018.8.12◆

「自分ルール」


「すべてがFになる(森博嗣さんの小説)」の登場人物の一人が
チョコレートを舌の上で転がしながら食べて(舐めて)いて、
そうする理由は、曰く、噛むと虫歯になるから…とのことです。

これって、本当なのかな…?
いや、まぁ…歯と接触させないのであれば有効なのかもしれないけど、
チョコはその食べ方でどうにかなっても、
お米とか果物なんかはそうもいかないのでは…?

まぁ、でも…こういう他人からは理解されなそうな謎の自分ルール、結構好きです。
ヒトには、特に周りに理解してもらいたいとも広めたいとも思ってないけど、
自分ではついついそうしちゃう…みたいな独自の理屈を持つことありますよね。

ヒトのそういうところを見つけたら、正論でそれを否定するのではなく、
ユーモラスな理屈だと捉えて肯定してくれるような文化が広まれば…
もう少しだけ生きやすい世の中になるかもしれません。


P.S.
ちなみに、チョコレートを舌の上で溶かすの、実際にやってみたけど…結構難しいですね。
もちろん、条件が「噛まない」だけなら時間だけの問題なので我慢できるのですが、
(それでも、もどかしくて噛みたくなっちゃうけど)
「歯に触れたらNG」という条件を加えると、一気に難度が上がります。

お手元にひとくちサイズのチョコがあれば…ぜひトライしてみてください。
もし成功すれば、虫歯にならないらしいですよ。


(ICO)



◆2018.7.23◆

「実験動物の年間総販売数調査」


デジタルデバイスやデジタルコンテンツが日に日に急増していく昨今、
薬学に関わる研究も例外ではありません。

だからといって実験することの価値や重要性が下がっているとは思いませんが、
一方で、動物実験のような、なるべくやらないで済むならそのほうがよい…というようなものを、
計算によるシミュレーションを使って代替できるのは、よい進歩だと思います。

ところで、実際のところ動物実験は減っているのかな…って思って調べたら、
3年に一度、どんな動物がどのくらい売買されてるのかに関する調査結果がありました。

そういうことしてる団体って、ちゃんとあるものなんですね。


その結果を読むと、この30年間で実験動物の販売業者は半減しているそうです。
動物の数でいえば、種によって様々ですが…

【H28年度実績の調査結果】

マウス:ピーク時(S63)の34%
ラット:ピーク時(H3) の24%
ウサギ:ピーク時(S60)の14%
イヌ :ピーク時(H3) の12%
ネコ :ピーク時(S60)の 5%
サル :ピーク時(H19)の94%
ブタ :今回が過去最高

…と、多くの動物で結構な数が減っていますね。
でも、例外がサルとブタ。特にブタに関しては今回が調査以来過去最高数となりました。

ブタはもともと生理学的にヒトに近い特徴も多く持つ上に、今の時代は遺伝子改変ブタが使えるから、
より研究に向いている動物に昇格しました。

別の面では、ブタはその巨体ゆえに飼育や管理が難しい面もありましたが、
ミニブタやマイクロミニブタを使うことで、だいぶ取り扱いやすくなりましたね。


まぁ、そんなわけで…例外はあるものの、動物を使った実験は結構減っているようです。
個人的には動物実験は有意義な手法だと考えていますが、一方で、この減少傾向はよい流れだと感じます。


薬学生の皆さんは実習とかでマウスなどを扱うこともあるかと思います。
貴重な生命・貴重な機会を…どうか良い経験に代えてくださいね。





(ICO)



◆2018.7.1◆

「この一文のための数百ページ」


充実した気分を味わいながら小説が読めるときは、その物語が一つの流れとして面白く展開している場合が多いです。
一方で、ワンフレーズがすごく気になって、その後の自分の考え方に影響を与えることがある…というのも、
小説の醍醐味の一つだと思います。

最近読んで面白かった本の中にも、この後者のパターンがありました。


 「要は、迷いなくやりゃ何でも楽しいってことなんだな。
  楽しいから迷いなくやるのかと勘違いしていたけれど、逆だったんだ。」

 (荒木源さんの小説「探検隊の栄光」より引用


この言葉は結構、目から鱗でした。
僕は良く云えば慎重、悪く云えば臆病なので…どうしても、信じるに足る理由を先に抑えてから行動したがる節があるんですよね。

でも、先に潜む不安材料に怯えながら進むのはあまり愉快なものではありません。
むしろ、目標に到達できることを前提に試行錯誤を繰り返すほうが楽しめそうです。
どちらも結局は同じようなことをしてるんだけど…その心持ちは全然違います。

そういえば過去の楽しかった想い出を振り返ると、確かに「迷いなくやる→楽しい」という流れができあがっていたなぁ…と感じます。
この流れを偶然に任せるのではなく、意識的にやってみると…これからの楽しい時間が増えるかもしれません。
(もちろん、迷いなくやれる状況を作るのは簡単ではありませんが…。)


ほかには、別の本のこんなフレーズも気になりました。


 「できないということは、心地のよい眠りに近い。何もかも諦めていい。できないのだから。仕方ないは魔法の言葉。
  それに比べて、できるということのなんと過酷なことか。できる人間には責任がある。できる人間はやらなくてはならない。」

 (恒川光太郎さんの小説「スタープレーヤー」より引用


「仕方ない」って言葉が割と好きだったんですよ。魔法のことば。
あれもこれも望んだってキリがないし、程よく諦めるのはむしろ良いことだとすら思っています。
でも、この言葉を突きつけられると…あぁ、痛いところを突かれたな。という気分になりました。

いや、「できる人間には責任がある」としても、自分はそれに当てはまらないでしょ…
という逃げを試みるのですが、じっくり考えてみると、それは無理な相談でした。

「できる/できない」の線引きはヒトそれぞれですけど…薬学部に入ってる時点で、というか、
21世紀の日本で暮らしている時点で、自分を「できない」側に置くのはちょっと苦しいんですよね。

主観的に「自分はまだまだ」と思う部分はもちろん多いけれど、それでも…義務教育を受けてる。
衣食住は概ね不足ない。インターネットも利用できる。戦争には巻き込まれていない。
ここまでの条件が揃っていれば…責任を持って然るべき立場なんだといえそうです。
なんとも酷な話ではあるけれど…責任があるから、やらなくてはならない。


こんな風に、数百ページの中から胸に響く一文を見つけたときは、幸福な気分になります…♪

仕事が忙しいと読書タイムって減っちゃうけど…こんなに有意義なんだから、残業してる場合じゃありません。


(ICO)