2016.04~2016.06



◆2016.06.26

「舟を編む」


とある文章に、「御海容ください。」と書いてあって、
何だこれは。「ご容赦ください」の最上級かっ!?
と思って辞書をめくってみたら、大辞林曰く、

    (海が広く物を容いれるように)寛大な心で,人の過失を許すこと。寛容。

とのことでした…うん、やっぱりそうだよな。文脈的にも。

しかし、「ご容赦ください」 って云われれば、「そんなの、全然構いませんよ」 とさらっと返せるものの、
「海のように広い心を持ってどうかお許しください」 とか云われちゃうと、
「もちろんそのくらい許すっていうか気にしてませんけど、海ほどの広い心を持つのはちょっと…」 と、
逃げ腰になっちゃいそうです。

ところで…こういう言葉を使うと、カタイ奴だなぁ。とか、古臭い奴だなぁ。とか思われる傾向にありますが、
個人的にはこのような絶滅危惧語(いわゆる死語)を使われるの、結構好きです。

同じく、自然発生した生まれたての造語とか、謎の専門用語とかを耳にするのも結構好き。
こちらも同様に、社会で安易に使うと嫌味な奴だと思われるので注意が必要ですが。世知辛ぇ。
(この原因は、専門用語を使うときに限って悦に入った表情をしているヒトが多いためと考えられる。)

個人的には、知らない言葉と出会えるのは(それが高尚な語彙でも俗っぽい言葉でも)、
勉強になるし興味を掻き立てられるから…もっとみんなに臆せず多様な言葉を使って欲しいんですけどね。

そんな僕も他人様の不興を買いたくはないので、普段のコミュニケーションの際には
伝わりやすい言葉選びを心がけています(相手がどう感じているかは知りません…)。

…とはいえ、ココ(今日のひとこと)では書きたいことを好き勝手に書こうと思っているので、
特に読み手の皆さんに気は遣いません。
絶滅危惧語も新生語も専門用語もどんどん使っていくつもりです。
それでも読んでくれるという物好きな方は、これからもどうぞよろしくお願いします。


p.s.

勉強のほうのコンテンツでは読みやすさ・わかりやすさを重視しているつもりですので、
もし理解しにくかったり読みづらかったりする説明文があれば、いつでもご連絡ください。
ご指摘を受けた文章については精査して、より良い文章に書き換えたいと思います。


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◆2016.06.23◆

「ありがたく御座候」


御座候(ござそうろう)! 何この、格好良い響き。
武士か侍が使う言葉の語尾なのか、御座候。
でも食べ物らしいですよ、ゴサソウロウ。
どんな食べ物かは…気が向いたら、検索してみてください。
きっとあなたも食べたことある、アレです。ござそーろー。

好きな食べもの何?とか聞かれたら、積極的に云いたくなるよね…御座候!
いや…大して好きでもないけどさ、敢えて食べようとも思わないし。
そもそも、好きな食べものなんて、滅多に聞かれないけどさ。
そして、仮に聞かれたとしても、御座候!とか答える勇気なんてないけどね…
そのあと話を広げる自信もないし。
普通にGFJ(グレープフルーツジュース)です…とか答えるでしょうよ。

兎にも角にも、こんなにテンションの上がる名前も珍しい。
大事なのは中身だ!とは云うけれど…やっぱり名前も大事ですよ。
「ふわふわオムレツ」と「もさもさオムレツ」だったら、ふわふわのほうが美味しそうでしょ。
「じっくりコトコト煮込んだスープ」とか、名前だけでもうほんと美味しそう。

何の話でしたっけ…あぁ、そうだ。御座候。
皆さん、今度お店で見かけたら、ぜひ店員さんに「御座候ひとつ!」って云ってみてください。
一部地域を除いては、嫌な顔されること請け合いですが…案外、
店員さんも云われ慣れててノリノリで作ってくれるかもしれません。
まぁ、僕は云いませんけどね…(2回目)。


※ 響きが気に入ったので「御座候」と連呼していますが、
  決して「御座候」を中傷する意図はありません。


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◆2016.06.18◆

「静寂のconcerto」


シンフォニー、コンチェルト、交響曲、協奏曲。
どれもよく聞く言葉ですけど…意味も知らずに言葉の雰囲気だけで受け取っていました。
先日、きちんと整理する機会があったので、メモを兼ねてここに書き置きします。
そんなのは常識じゃないか、と云われてしまうと…ぐうの音も出ません。

まず、シンフォニー。
これは日本語では交響曲に対応します。
オーケストラによって演奏される曲のことです。
オーケストラで色んな楽器が使われるから、「交響」なのでしょうか。

続いて、コンチェルト。
これは日本語では協奏曲に対応します。
オーケストラとソリストが一緒に演奏する曲のことです。
要するに、シンフォニーとの違いはソロで演奏するヒトがいるかいないかですね。
オーケストラ側とソリストが協力するから、「協奏」ってことですよね。

そう考えると、「交響曲」と「協奏曲」の違い、結構覚えやすいかも。
つまり、静寂のconcerto(GARNET CROWの曲)は、「静寂」がソリストってことでいいですか…?

今日はメモ代わりなので、特に意見も考察もなくおしまいです。

おやすみなさい。


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◆2016.06.13◆

「薙ぐ、泣く」


角田光代さん(作家)が、こんなことを云っていました。

    現実に、人は死ぬ。現実を模して書く小説でも、だから当然、人は死ぬ。
    けれどときどき小説を読んでいて、「死ぬために死ぬ」ような人が出てくる場合もある。
    その死に必然がなく、ただ読み手を泣かせるという目的だけがある。
    作者にとって都合のいい死、としか思えないときがある。
    涙もろい私はそうした小説に、きちんと泣きながら、「こんちくしょう」と思っている。
    人が死ねば、それが現実のだれかであろうと、小説のだれかであろうと、泣くんだ。
    でも人が死んで泣くということと、感動するということは違う。
    私を泣かせるために、この人を死なせる必要なんかないんだ。
    そんなふうに思っての、こんちくしょうである。


これ、すごく共感します。
現実でも小説でも映画でも何でも、思い入れのあるヒトや動物が亡くなったら、
やっぱり悲しいし、無意識に涙が出ます。
でもフィクションの中には角田さんの云うように、
読者(視聴者)を泣かせるためだけに死んでいく人が後を絶たないですよね。
もちろん、それを見て僕も結局泣くんだけど…でも、それは感動じゃなくて、
ヒトが死んだという事実(それがフィクションでも)に対する涙なんだと思います。

そう思うと、「風の万里 黎明の空」(小野不由美さんの小説)に出てくる蘭玉や清秀の死は、
読者を泣かせるための死に際の演出もなく、死後に悲しみに暮れさせる余韻もなく、
ただただ無力感や喪失感、怒りや悔しさを読者に突きつける…
という、涙とは無縁の(少なくとも強要はしない)、
まさに意味のある(読者のためではなく、その物語の世界観に沿う)死でした。

せっかくヒトの生き死にを扱うなら、たとえフィクションだとしても
ご都合主義で生かしたり殺したりするのではなく、ちゃんと扱ってくれたら嬉しいです。

ま…そうは云っても、何をどう書くかは作者さんの自由なんですけどね。
何をどう読むかが、僕らの自由であるのと同じように。


…と、「あさひなぐ」(こざき亜衣さんの漫画)18巻を読み終えて、そんなことを考えました。
この漫画では誰も死なないけど、この巻だけで何度も泣けた。
「こんちくしょう」じゃないほうの、涙。


あさひなぐ…続きが気になります。


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◆2016.06.10◆

「誤解された蜂」


スズメバチとクマンバチは一緒で、クマバチは別の蜂って知ってました…?

スズメバチはスズメバチ科の蜂で、黄色と黒の縞模様が特徴的です。
毛はほとんど生えていません。
毒針で刺されるとすごく痛い(経験ないけど…)。
スズメバチのことをクマンバチと呼ぶヒトも多いです。

一方、クマバチはミツバチ科クマバチ属で、毛がふさふさ生えているのが特徴的です。
また、色も上半身は黄色で下半身が黒色とはっきり分かれているので、スズメバチとは似ていません。
強いて云えば、両者ともに蜂の中では大型であるという共通点を持っていますね。

※ ちなみに、クマバチのことをクマンバチと呼ぶヒトもいるし、昔からの方言だったり
  誤解がいつの間にか定着したりで、このあたりの区分は地域やヒトによってかなり曖昧なようです。
  そのため、まぁ、そんな話もある…くらいに考えつつ読んでください。


…で、クマバチは温和な性格をしていて滅多にヒトを襲わない(というか関心を示さない)し、
ましてそのへんでホバリングしてる奴らはみんなオス(=針を持たない)なので、
毒針で刺されることはないようです。
つまり、クマバチはクマンバチとは違って、そばにいても安心して大丈夫です。

クマバチを手で掴むとか、そこまで明らかな攻撃をこっちから仕掛けた場合は、
もしも相手がメスなら針で刺してくるかもしれません。
…けど、それでも、多少痛い程度で、大きな怪我に至ることは少ないみたいです。


詰まるところ…クマバチは体が大きいってだけでクマンバチと混合され、
ヒトから忌み嫌われてるって思うと、結構、可哀想ですよね…。

それとも…ヒトに怖がられてるほうが、彼らにとっては好都合なのでしょうか。


さて…そんな知識に触れたので、次に大型の蜂に出会ったときは、
彼らを(刺激しないように)観察して、クマンバチかクマバチかを見極めてみようかと思います。
余裕があったら、針があるかないか(メスかオスか)もチェックしてみたいです。

相手のことを怖いなって思うのは、相手のことを知らないからなんですよね。
彼らのことを少しでも知った上で接近してみたら…案外、仲良くなれるかもしれません。


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◆2016.06.05◆

「大は小を兼ねない ~本屋編~」


もうタイトルだけでほとんど書きたいことを書き終えてるんですけど、
大きな本屋にないけど小さな書店にあるものって、結構ありますよね。

東京駅の丸善とか神保町の三省堂が好きで、機会があったら立ち寄るようにしてるんですけど、
じゃあ、この2店さえあれば満足かって云われると…小さめの書店には違った良さがあるので、
それも捨て難いです。

本屋ってやっぱり本好きの店員さんが働いてるんだなぁ…と常々感じるのは、
広い店でも小さな店でも、本の配置の工夫や平積みにする本の選び方、
特集を組んだりポップを描いたりして推している本がほんとに十人十色(十店十色?)ですよね。

極々稀に、ベストセラーとかロングセラーの売れ線しか並べていないようなお店もありますけど、
戦略的にはあまり間違ってなさそうなそんな店が、妙に異質に感じるくらい珍しいです。

そんなわけで…その場所その場所での得意分野(ジャンル)とか
プッシュしてる作品を見て廻るのが、本屋めぐりの醍醐味だと思っています。
そこで出会った本はきっと大型書店にもあるにはあるんでしょうけど…
あの樹海の中からその一冊に巡り合うことは、きっとないでしょう。

書店の数は毎年、何百店舗もの勢いで減っていってると聞きます。
ある程度の情報はネットで事足りる(というか最新情報はネットのが早い)し、
電子書籍なら、家では本棚のスペースを気にしなくてよくて、外出時は持ち運びにも便利だし、
そもそも読書以外でも娯楽はいくらでもある時代だから、
本屋が減ってしまうのもしかるべき流れなのかな…とは思います。

でも、自分にとって楽しい空間が減ってしまうのは寂しいので、
僕には書店を買い支えるほどの財力はないけれど、
楽しめる本屋に寄った際には少しずつでも貢献していこうと思います。


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◆2016.06.01◆

「雨上がりの紫陽花」


もうすぐ、今年もあじさいの季節ですね。

大学の図書館の前に咲き乱れる紫陽花が好きでした。
今もあるのかどうか、知りませんけど…。

あじさいって、いいですよね。
雨の似合う花っていうのが好印象だし、土壌のpHで色が変わるのも面白い。
何より、紫陽花っていう漢字が好ましいです。

雨上がりの青い空、濡れたあじさい。
陽光が雨粒に反射して輝く花々の情景を端的に表現したら、まさに“紫陽花”。


ところで、
「紫陽花の色って土のpHによって変わるんだよ」
「いや、それは都市伝説って聞いたよ」
みたいな会話をたまに聞くので、ここらでまとめておきます。
(別にまとめたところで、そのヒト達は読んでないだろうが…。)


紫陽花の花の色が変わるメカニズムは主に二つです。


一つは、先ほどから話の出ている土壌のpH値。
土が酸性だと青く、アルカリ性だとピンクっぽくなります。
紫陽花の花にはアントシアニン(のうち、デルフィニジン)という色素が含まれていて、
この色素のためにもともとはピンク色に見えます。
しかし、土壌に含まれるアルミニウム分を根から吸収すると、
このアントシアニンとアルミニウムが金属錯体(キレート)を形成して、
花が青色に変わります。

…で、pHがそれの何に関係するかというと、pHによってアルミニウムが
どれくらい土壌中の水へ溶け出すかが変わってきます。
アルミニウムは酸性化では溶けてイオン化していますので、
容易に水に溶けて根から吸収されます。
一方、中性やアルカリ性だと水酸化アルミニウムになるので不溶化し、
根から吸収されにくくなります。
(アルミニウムは両性化合物なので、強アルカリだと水に溶けますが、
 土壌のpHで強アルカリはあまり現実的ではないです。)
そんなわけで、酸性だと錯体形成により青くなり、
中性やアルカリ性だとアルミニウムが吸収されずにピンクになります。
また、その間(中性より少しだけ酸性側)だと紫色に染まります。

だから、敢えて青く見せたいなら、土壌のpHを酸性にしたり、
土壌に含まれるアルミニウムの量を増やしたりすればいいわけです。


色の変化のもう一つの理由は、成長に伴う色の変化です。
若いうち(咲き始め)は花に含まれる葉緑素のために緑色に見えます。
次いで、葉緑素が分解されるとともに先ほど挙げたアントシアニンが作られるため、
青やピンクっぽくなります。
最後に、花が枯れる時期に近づく頃には有機酸がたくさん溜まり、
品種によって赤とか緑とか違いますが、くすんだ色になっていきます。

ちなみに、何で花に葉緑素が?って思うヒトもいるかと思いますが、
紫陽花の花と思っている部分は、実は花ではなくて萼だからです。
だから、上の文章は正確には「花に含まれる葉緑素」じゃなくて、
「萼に含まれる葉緑素」ですね。
本当の花は、萼の中にちんまりと潜んでいます。


6月になったので、そんな感じで今日は紫陽花な気分でした。

さぁ、雨季が楽しみだ…♪


(ICO)



◆2016.05.27◆

5/15 のひとことのおかげでしょうか
俄にご指摘のコメントをいただく数が
増えてきています。

一つ一つのコメントに
本当に心から、感謝しています。


もしも
これらのコメントのおかげで
行うことができた対応を
自分たちだけでやろうとしたら

どれだけの時間があっても
見つけることができなかったであろう
内容が、いくつもあります。

それに
決して考えることのなかったであろう視点が
いまやサイトの随所に織り込まれています。


無数の人の目と手のかけられた
良質な、変化し続ける有機体としての
サイト構築、運営を引き続き、楽しんでいこう!♪


(kazupiko



◆2016.05.26◆

「素直に喜ぶということ 」


電車の中、小学生くらいの男の子がテストで良い点数を取ったことを、父親(と思われる)に報告していました。
 
父親が、「すごいじゃん、よくやった!」 とその子の頭をなでると、少年は、それはそれは嬉しそうに照れていました。
 
ただそれだけのことですが、世界はこんなにも美しい…と思える出来事でした。 


(ICO)



◆2016.05.22◆

「ぱぱぱノススメ」


出くわした問題や困難をぱっと解決できたらすごいなぁ…と思う。
けれど、すごいなぁ…と感心するだけで、それはあんまり大事な力ではないような気がする。

完全に暗記しておいて、ぱっと解決できるような力は要らない。
そうじゃなくて、何を(どれを)調べたら良いかをぱっと判断して、ぱぱっと調べて、
ぱぱぱっと問題解決できるような能力が求めるべき基礎力なんじゃないかな。

大災害が起きたり通り魔に遭ったりする非日常は別として、普段の局面では
一瞬で問題を解く必要なんてなくて、3ステップくらい踏む時間的余裕があるんだから、
その前提で知識や知恵をつけていくことが大事なのかな…って思う。

もちろん、薬剤師国家試験のような試験ものでは途中で本やネットに頼ることはできないけれど、
社会に出て働く立場になった暁には、そういう心づもりでいると、仕事を上手にこなせるだろうし、
正確に理解しておくことを目指さなくていい分、精神的に楽なはず。


おすすめです。

まぁ、自分が上手に仕事できてるかどうかは疑わしいので、
この戯れ言は全部デタラメなのかもしれませんけどね…。


(ICO)



◆2016.05.15◆

「愛のある批判、募集中!」


この間、頂いたコメントの中に、

    最近「コメントのお返事」が更新されていませんが、お忙しいのでしょうか。

というお言葉があったので、ここでひとこと。

コメントの返事を溜めてるんじゃなくて、コメントがあんまり来ないんです…!

いや…まぁ、いいんですけどね。
交流を目的としたサイトでもなく、コメントありきで考えてるわけじゃありませんから。

でも、頂いたご意見とかご指摘のおかげで、このサイトにとって助かってることも多いんです。
コンテンツの内容にちょこちょこ間違いがあったり、説明不足な箇所があったりして、
指摘されるたびに直していくことで、サイトの質が少しずつ上がるのを実感してます。
皆さん、いつもありがとうございます…♪


そういえば…コンテンツの内容に間違いがあったら良くないのは当たり前として、
サイトの良し悪しってそれだけじゃ決まりませんよね。
ホームページでも書籍でも、内容的には同じようなことが書いてあったとしても
理解しやすい/意味不明 とか、心に響く/感動しない とかの違いがありますもんね。

このサイトは、皆さんにとって使いやすいですか…?
もっと良いサイトづくりができれば、と思う気持ちは強く持っているものの…
具体的にどういう風にしたらいいのか、なかなかアイディアが出てこないのも事実。

そんなわけで、皆さんもし何か思うところがあったら、ぜひ聞かせてもらえないでしょうか。
ご意見やご指摘、頂けると嬉しいです! ぜひ、お待ちしてます…♪


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◆2016.05.06◆

「祝日の意味」


ゴールデンウィークも終わり、7月18日まで祝日がおあずけにも関わらず、
今日は祝日の話をしてみようと思います。


今年から、8月11日が山の日という祝日になりましたね。
学生の皆さんにはあんまり関係ないかもしれませんが、
社会人の方の中には、お盆休みが長くなる人もいると思います。

ところで…山の日ってなんだろう。と思って、内閣府のHPで確認してみました。
曰く、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。」とのこと。
うん。 わかるような、わかんないような…まぁ、いっか。

ついでにほかの祝日も見てみると、たとえば敬老の日は、
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」
そうですよね…お年寄りを敬う日ですもんね。
体育の日は、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。」
えぇ…これも異論ありません。


…でだ、問題はここからですよ。

春分と秋分は、云わずと知れた二十四節気のうちの二つで、
昼の時間と夜の時間が(ほぼ)同じになる日です。

そんな春分や秋分をどんな心持ちで過ごしたらいいのかというと、
内閣府によると、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」ですって。
まぁ、これは何となくわからないでもないんだけど、問題は秋分の日です。

秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」だそうです。

ん…?

秋分って、そういう日なの?
実りの秋だから、作物がとれることに感謝!とか、そういうことではなくて…?

あぁ、そっか。その頃はお彼岸だから、亡くなったヒトを偲ぶんだ。と解釈することもできますが、
そうすると春分の日も同様にお彼岸のはずなんですよねぇ…。

上で紹介した一文以上の解説は公式(内閣府)からはなさそうだし、
とりあえず考えてもわかんないから、春は黎明って感じがして、秋は黄昏って感じがするから
こうなったのかなぁ…と受け止めることにしました。


ちなみに、僕は「秋分の日」派です。


参考サイト
内閣府 国民の祝日について


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◆2016.05.05◆

「自分が志した薬学の道」


高野和明さんの「ジェノサイド」という小説に出てくる、薬学部の大学院生について描写している一節(一部改変)。


    意外にも彼は、初めて自分の人生が正しい方向に進んでいるのだと実感できた。
    自分が志した薬学の道は、ここに通じていたのだ。
    これまでの努力がすべて報われたという思いが、彼の胸を熱くさせた。


こんな思い…僕もいつか、してみたいですね。

正しいという実感。
報われたという思い。

少しずつ少しずつ…目指しているものが見えてきているような気は、するんですけどね。


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◆2016.04.09◆

夜深けの流星達


日本の隕石保有数は世界で2位だそうです。
さて、何でこんなに多いんでしょうか…?

    ① 日本には普通の石と隕石を見極めるプロがいる
    ② 日本人が世界中の隕石を買い漁ってる
    ③ その他


はい…正解は③です。
それ、問題構成としてどうよ。

日本に隕石が降ってきたとしても、普通の石とイマイチ区別がつかないので、
そこらへんの平地や山に落ちたものを隕石だと特定するのは相当厳しいです。

じゃあどこなら見つけられるかというと…主に南極大陸です。
確かに、氷の上に不自然に石が転がってたら、これはわかりやすいですよね。

…で、昭和基地にいる日本の隊員が毎年何十個も何百個も、
ときには何千個も隕石を拾い集めたおかげで、日本の隕石保有数は一時、世界一になりました。
世界の全保有数の半分以上を日本が占めているという時代もあったくらいです。

それを見て、アメリカをはじめとする他の国々も南極での隕石採取に積極的に取り組み、
今ではアメリカが隕石保有数、世界一となっています(日本が2位です)。


隕石っていいですよねぇ…1コ、ほしいな。
いや、持ってたところで使い道ないし、鉱石と違って見た目が綺麗なわけでもないですが…。


でも…こうやって隕石をせっせと拾い集める時代もそろそろ終わるかもしれません。

というのも、隕石は大気圏を突破する過程で相当な熱が加わるから…
地上に着くまで岩石が宇宙空間での状態そのまんま、とはならないんですよね。

本当なら、あるべき姿の石を手に入れて、それを分析したいというのが科学者達の本音(たぶん)。

つまり、「はやぶさ」がやったみたいに、サンプル・リターンで宇宙の石を手に入れるほうが良い。
もしくは、地球に持ち帰らなくても、宇宙空間で拾ったサンプルを宇宙ステーションで分析するとか、
そういう時代が案外に近いんじゃないかなぁ…とも思います。

宇宙ステーションで3Dプリンターを活用できるようになったら、分析機器のパーツを生産して
組み立てて運用するなんてこともできそうだから、結構色んな方面で夢が拡がる…♪


人類がどこに向かってるのか全然わかんないけど…とりあえず、未来に期待。


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◆2016.04.07

「overjoyed」


すごく嬉しいことがあって、まるで夢のようだと思っていたら…夢でした。


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◆2016.04.02

「信じ続ければ夢は叶う、どころじゃない!」


倉木麻衣さんの「Stay by my side」という曲の歌詞にある、

    捨てない限り夢は逃げていかない

という言葉が好きです。

そんなのは綺麗ごとだ、とばっさり切り捨てる大人たちの意見は無視して、
この言葉を大事にしながら生きてきました。


でも最近感じるのは、捨てない限り夢は逃げていかないのはもちろんのこと、
たとえ捨ててしまったとしても、結局は夢は巡り巡って
自分のもとに戻ってくるんだなぁということです。


BUMP OF CHICKENの「分別奮闘記」という曲は、
自分の夢をゴミ袋に入れてゴミ置き場に捨てたのに
いつまでも回収されず、

    ゴミなのか これゴミなのか
    認めたくないけど違うのか

…と、結局、夢を自分で引き取るという話です。


嵐の「PIKA★★NCHI DOUBLE」という曲のサビは、

    終わったはずの夢がまだ 僕らの背中に迫る
    刻まれた想い出が騒ぎ出す

という歌詞で始まります。


これら3曲を都合よく合わせると、
夢を捨てない限り、きっと大丈夫。
というか、諦めようと思っても簡単に捨てることはできない。
万が一、夢を諦めることに成功しても、気づけば心に舞い戻ってくる。
…ってことになりそう。

なら、まぁ…話は早いですね。

僕は、自分の願いを諦めたのか捨てきれてないのか、
何とも云えない微妙な心境で過ごすこともあるけれど…
僕自身が信じようが信じまいが、
その願いは自分のそばに在り続けるってことなんでしょう。


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